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逸見政孝の入院

『平成教育委員会』は、ビートたけしと逸見政孝の絶妙なコンビによる司会進行が持ち味の番組でした。
公私ともに親交の深かった二人の、息の合った司会進行で、番組の人気は絶頂を迎えていました。

ところが、そこに暗雲がたちこめます。
番組開始からちょうど2年となる1993年10月、学級委員長である逸見政孝が、癌治療のため入院となりました。
その間、学級委員長代理として、当時フジテレビアナウンサーだった中井美穂が代役を務めました。
あくまで代理であったのは、逸見政孝の回復を願っての配慮であったといわれています。

しかし、同年12月25日、願いむなしく逸見政孝は逝去。
直後の番組枠では、追悼番組が放送されました。

これを受けて、代理で会った中井美穂がレギュラーになりましたが、肩書は学級委員。
学級委員長の肩書は、逸見のために永久欠番とされました。
また、番組名も、しばらく『たけし・逸見の平成教育委員会』のままで残されました。
これは、ビートたけしの希望であり、遺族への配慮でもありました。

しばらくして、タイトルは正式に『平成教育委員会』となり、逸見政孝のいない番組がスタートしました。

番組の始まりと終わり

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