ビートたけしの事故入院で生まれ変わった番組
1994年8月、ビートたけしが交通事故で入院し、逸見政孝を失いながらも、人気を保っていた『平成教育委員会』を一時降板せざるをえなくなりました。
これを機に、逸見の死後も、逸見政孝とその遺族への配慮からそのままにしていた、『たけし・逸見の平成教育委員会』という番組名から、正式に『平成教育委員会』と改められました。
ビートたけしの不在で、ピンチヒッターを務めたのは明石家さんま、所ジョージ、大橋巨泉というそうそうたるメンバー。
タイトルも、ビートたけしが復帰する二月まで、『平成教育委員会・毎回がスペシャル』となり、問題の種類も、統計の上位数項目を当てる「統計テスト」、幾つかの項目を指定された順番に並べ替える「選択テスト」など、種類が増え、番組初の生放送が行われる(この会の司会は所ジョージ)など、さまざまな改革が行われました。
これらの試みは成功し、1995年3月のビートたけし復帰の回では、視聴率35.6%を記録するなど、番組はピンチを切り抜け、人気をキープできたのです。
ビートたけしの受難は、見事な改革のきっかけとなりました。