平成教育委員会の歴史
番組スタート当初のタイトルは、『たけし・逸見の平成教育委員会』でした。
ビートたけしが先生役、進行補助で回答者も兼ねる委員長が逸見政孝という、異色なコンビながら、その面白さはお互いを補助して引き立てる、素晴らしいコンビとして、番組の人気を支えました。
実は、この番組のアイデアを出したのは、何を隠そう、ビートたけし本人なのです。
当時、不祥事でしばらくメディアから遠ざかっていたビートたけしは、反省の意味もあって、勉強しなおしとして、小・中学生がやるようなドリルを黙々とやっていました。
その中で、ふとビートたけしは気がついたのです。
芸人・社会人として身につけた常識と、義務教育で得る常識がかけ離れているということ。
つまり、一般の社会人として生活していても、義務教育で覚えているはずの一般常識の知識は忘れているのではないかと。
そのことを、番組原案として出したのが、のちに平成教育委員会として番組化され、ビートたけしが一線に復帰し、しかも大御所として再び定着するきっかけとなりました。